【序章】順風満帆の人生のはずでした。。。

僕のこと

パリッとしたスーツ、カチッとジェルで固めた髪。

日本中に知り合い(お客様、見込み客、業者仲間など)がいて、『営業所』と名付けた黒いスーツケースを引っ張りながら、いつも忙しく全国を飛び回っている。

少し大げさかもしれませんが、僕はそんな「営業マン」でした。

よく、人から趣味を聞かれたら、「家族です!」と答えるくらい、嫁と子供たちが大好きで、“10年前に購入した自宅のローン”と“夏の家族旅行”の為に、営業成果を追い求める日々でした。

子供の反抗期や家族の病気などの悩みはあるものの、幸せな日々だったと思います。

新型コロナの影響で、思うように営業活動ができなくなり、会社が始めた新しいサービスを取り扱うなど、とにかく自分なりにがむしゃらで、その幸せを嚙みしめることはありませんでしたが。。。

「気がついたら、ベッドの上でした。
 仕事、放棄するような形になってしまい、申し訳ありません。」

これは、とても可愛がってもらっている、尊敬する上司に書いた手紙の冒頭です。

『くも膜下出血』という突然の病で倒れて意識不明の重体となり、目が覚めた時のことは、死ぬまで忘れないと思います。

身体はベッドに固定されていて寝返りもできず、右腕には点滴の管が刺さっていて、両手にはミトンがはめられているから、痒いところを掻くこともできない。

そして、とにかく頭が痛い。

ずーっと、頭が締め付けられているように痛い。

頭の中は何かが鳴っているかのように、常にガンガンする

少しでも気を抜くと、頭痛に負けて目を閉じて、そのまま意識を失うように眠ってしまう。

何度、いや何日、そうやってベッドの上で過ごしたでしょうか、、、

病院のベッドから眺める窓には、隣の建物の屋上が見えました。

その屋上の柵に鳥が飛んでくる様子を、ベッドに固定されたまま、ずっと見ていました。

自由に空を飛んだり、気ままに柵に留まったりする鳥を見ていると、自分の子供と重ねてしまい、会いたくて、自分が不甲斐なくて、涙が止まらなくなりました。

少し長くなってしまいましたが、ここまでが、僕の『くも膜下出血の後遺症』との闘いの序章です。

今思い出しても、初めはワケが分からなかったし、ただただ辛い思い出です。

ここから、手術→転院→リハビリ→退院→療養生活→社会復帰と『くも膜下出血の後遺症』との闘いが続くのですが、今回はここまでとします。

続きは、追って書こうと思いますので、よろしくお願いします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました